色川武大の人生

男女の出会いと無頼の人生

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更新日:2015.09.07.

色川武大の人生1989年4月10日に亡くなった色川武大は、阿佐田哲也のペンネームで麻雀小説を書いた作家として知られる人物です。
色川武大は退役軍人だった父親が44歳の時に産んだ子で、この父親との関係がのちの色川武大の小説の大きなテーマの一つになります。

小学生時代から学校に馴染めず、浅草の寄席や映画館に入り浸る生活でした。
1945年の終戦の年に中学を中退し父親の軍人恩給も止まり、それ以降5年間ほど闇市でかつぎ屋や、道での立ち売りで生計を助け、そうちにサイコロ博打や麻雀で稼ぐ博徒になります。

博打で勝つと高級ホテルに泊まり、負けると野宿をする生活を繰り返します。
しかし1953年にアダルトなどの雑誌を発刊していた出版社「桃園書房」に入社し、「小説倶楽部」の編集者として働き始めます。
しかしこの頃からナルコレプシーと呼ばれる睡眠障害に悩まされます。
このナルコレプシーは昼間でも場所や時間に関係なく強い眠気が起きる病気で、結局1955年に桃園書房をクビになります。

仕方なく稼ぐために、井上志摩夫のペンネームで娯楽小説を書き始めます。
しかし実際には生活費は、競輪などのギャンブルで稼いでいたと後に語っています。

色川武大には独自のギャンブル哲学があり、人生を相撲の勝敗に例えて「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理がでる」とか「幸運が続きすぎると危ない」とよく生前言っていたそうです。
そのため1981年に作家の向田邦子が飛行機事故で亡くなった時には、「あの人は幸運が続きすぎたせいだ」とコメントしています。

妻の黒須孝子との出会いは母親同士が姉妹で、黒須孝子からは「この人は病気で数年で死ぬだろう。その間看病してこの怪物のような人と暮らしてみたい」と思われ結婚し、黒須孝子の予言どうり1989年に心臓破裂で亡くなります。
享年60歳でした。