黒岩重吾の人生

男女の出会いと無頼の人生

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更新日:2015.09.03.

黒岩重吾の人生黒岩重吾は2003年3月7日に、79歳で人生を全うした作家です。
しかしその人生の前半は壮絶なものでした。
黒岩重吾は同志社大学在学中に学徒出陣に駆り出され、北満州に出征します。
1946年に敗戦で命からがら朝鮮に辿り着き、やっと日本へ帰国します。

その後黒岩重吾は闇ブローカーで生計を立て、同志社大学を卒業した後は証券会社へ就職します。
証券会社に勤めていた1949年に、学徒出陣での体験を書いた「北満病棟記」で「週刊朝日」の文学コンクールに入選します。

しかし1949年3月7日に行われた日本経済の財政金融引き締め政策「ドッジ政策」で、持っていた株が大暴落し全財産を失います。
しかし本当の地獄は、このあとに黒岩重吾を待っていました。
株の情報会社「証券新報」を立ち上げますが、腐った肉を食べたことが原因で小児麻痺にかかり、3年間病院へ入院するはめになります。

この時のことを黒岩重吾は後に自伝で書いていますが、「鉄の肺」と呼ばれる人工呼吸器の一種のことが出てくる一節があります。
現在ではあまり使われていないこの「鉄の肺」で呼吸ができなくなり、空気が吸えない状況が描写されています。
黒岩重吾にとってはこの病院へ入院していた時期が、おそらく1番辛い時代だったと思います。

入院中の出会いから、最初の結婚をします。
しかし黒岩重吾の苦労はまだ続きます。
退院後は釜ヶ崎のドヤ街に住み、キャバレーなど仕事を転々とします。
しかし1960年にこの時の釜ヶ崎の経験を書いた 「背徳のメス」で直木賞を受賞します。