梶原一騎の人生

男女の出会いと無頼の人生

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更新日:2015.09.01.

梶原一騎の人生1966年から「週刊誌少年マガジン」に連載された、漫画「巨人の星」の原作者である梶原一騎二の人生は実に波乱万丈なものでした。
小説家を志していた梶原一騎ですが、生活のため漫画の原作を作る毎日でした。
そんな梶原一騎に、大きな転機が訪れます。
当時の「週刊誌少年マガジン」の編集長と副編集長が梶原一騎の自宅を訪ねて来て、依頼されて書いたのが漫画「巨人の星」の原作でした。

漫画「巨人の星」は大リーグボール養成ギプスや消える魔球などこれまで漫画のストリーになかった作品で、これが大ヒットとなりその後梶原一騎は、「あしたのジョー」や「タイガーマスク」などのヒット作品を次々に生み出していきます。
そして1971年には大山倍達の極真空手を書いた「空手バカ一代」を出し、後に映画「地上最強のカラテ」で極真空手が世に知られていきます。

しかし1983年5月25日に起きた、講談社の「月刊少年マガジン」の副編集長への傷害事件で逮捕され、これがきっかけで過去に暴力団員とともに起こしたアントニオ猪木監禁事件や、赤坂のクラブホステスに対する暴行未遂事件など、さまざまな事件で世の中を賑わせます。
さらに私生活でも妻の篤子夫人と出会いますが、1度離婚しまたヨリを戻します。
そしてその間に台湾の有名なタレントだった白冰冰(パイ・ピンピン)と結婚し、女の子が生まれます。

しかしこの女の子も1997年に身代金目的で誘拐され惨殺されます。
享年17歳でした。
梶原一騎も1983年に病気で倒れ、結局長年のアルコール依存や暴飲暴食が原因で、1987年に篤子夫人に看取られながら亡くなりました。
50歳の若さでした。