マリリン・モンローの死

更新日:2015.07.29.

マリリン・モンローの死1962年8月5日に自宅のベットの上で全裸で死んでいるのが発見されたマリリン・モンローには、自殺説と他殺説があります。
死因は睡眠薬の大量服用による自殺説と報道されましたが、後にマリリン・モンローが第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディと出会い、不倫関係にあったことが判明したからです。
またマリリン・モンローはケネディの弟で、当時司法長官だったロバート・ケネディとも不倫関係でした。
さらにこのふたりにマリリン・モンローを紹介したのが、歌手のフランク・シナトラだったからです。
フランク・シナトラはマフィアと関係の深い人物で、当時ケネディ兄弟がマフィアの取り締まりを強化しようとしていたことが、マリリン・モンローを紹介した背景にあるようです。
マリリン・モンローは36歳の若さでした。

アメリカのセックスシンボルと呼ばれた、マリリン・モンローの幼少期は辛いものでした。
モンローの母親は精神病を患っていて、マリリン・モンローは孤児院や里親の家で性的虐待を受けています。

16歳の時に航空機の整備工と結婚をしますが夫が海軍に徴兵され、航空機の部品工場で働き始めます。
ここで転機が訪れます。
19歳になっていたマリリン・モンローを、陸軍から取材に派遣された報道部員が写真に撮り、この写真が陸軍の機関誌「ヤンク」に掲載されたのです。
これがきっかけで1946年にマリリン・モンローは、20世紀フォックスと契約を結びます。
女優マリリン・モンローの誕生です。

女優になることに最後まで反対した夫とは、結婚から4年で離婚します。
最初はぱっとしなかったマリリン・モンローですが、「七年目の浮気」が大ヒットし、一躍世界のトップスターになります。
その後野球選手のジョー・ディマジオや劇作家のアーサー・ミラーと出会い、結婚と離婚を繰り返します。