三島由紀夫の自決

更新日:2015.07.28.

三島由紀夫の自決ノーベル文学賞の候補者として何度もノミネートされた、作家三島由紀夫の死に様は壮絶なものでした。
三島事件と呼ばれ1970年11月25日に、三島由紀夫自身が結成した「楯の会」の隊員4名を連れ、自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監に面会を求め、部屋で懇談中に突然日本刀を持って総監を監禁したのです。
自衛隊員数名を負傷させた後、部屋の前のバルコニーでクーデターを促す演説を行い、その後持っていた日本刀で割腹自殺をしたのです。

父親と同じく東京大学に入学した三島由紀夫は1945年に、その後の三島由紀夫の人生に大きな影響を与えた2つの出来事に遭遇します。
ひとつは自分の妹美津子が、チフスで17歳の若さで亡くなります。
もうひとつは後に著書「仮面の告白」に出てくる、初恋の女性三谷邦子の婚約です。

不思議なのはこの「仮面の告白」は同性愛を題材にした本で、三島由紀夫も同性愛者だったからです。
さらに三島由紀夫は同性愛者だったにも関わらず、平岡瑤子と1958年6月1日にお見合いで出会い結婚しているのです。
この時の媒酌人は、ノーベル文学賞を受賞した川端康成です。
実は三島由紀夫は平岡瑤子とお見合いをする前に、当時聖心女子大在学中だった皇后の美智子様ともお見合いをしているのです。

三島由紀夫と平岡瑤子は一男一女に恵まれ、何度かふたりは一緒に世界一周旅行にも出かけています。
しかし三島由紀夫の同性愛は周知の事実で、妻の平岡瑤子は三島由紀夫の性癖に悩まされることになります。