深作欣二とふたりの女性

男女の出会いと波乱万丈

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更新日:2015.07.16.

深作欣二とふたりの女性1973年から上映が始まった映画「仁義なき戦い」シリーズや、「バトル・ロワイアル」などこれまで多くの話題作を世に送り続けた映画監督深作欣二は、2003年1月12日前立腺癌の脊椎転移のため72歳で亡くなっています。

深作欣二は大学卒業後東映へ入社し、1961年に千葉真一主演映画「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」で監督デビューを果たします。
その後深作欣二を有名にしたのが、戦後の広島で実際に起きた暴力団抗争を題材とした映画「仁義なき戦い」でした。
この「仁義なき戦い」シリーズは東映の実録路線の先駆けとなった作品で、この「仁義なき戦い」の撮影が広島でロケされた1970年代の始めは、まだ暴力団抗争が繰り返されていた時期でした。
そのため当初はあまり刺激しないようにと上映時間1時間10分の白黒映画の予定でしたが、当時広島出身の東映社長の岡田茂の鶴の一声で、普通サイズのカラー映画に変更されました。

暴力的なシーンが多い深作欣二作品ですが、「暴力を描くことで暴力を否定する」と持論を展開しています。
エネルギッシュな映画監督として出演者に知られていて、連日撮影が深夜まで行われたあとも俳優を飲みに連れて行き、翌日も早朝から撮影を開始する生活を何ヶ月も続けるそうです。

深作欣二は女優の中原早苗との出会い、1965年にふたりは結婚していますが、後に中原早苗は深作欣二と女優荻野目慶子との関係を知り苦悩します。
病床の深作欣二を見舞いたいと申し出た、荻野目慶子の願いを中原早苗は最後まで拒み続けました。