やしきたかじんの波乱万丈な人生

男女の出会いと波乱万丈

  • 更新回数:10回
更新日:2015.07.14.

やしきたかじんの波乱万丈な人生今でこそやしきたかじんの名前を知っている人もふえましたが、つい最近まではやしきたかじんの知名度は関西に限定されていました。
これはやしきたかじんが頑なに関西での仕事にこだわり、自分が出演している番組の全国ネット化を拒んでいるからです。
そのためやしきたかじんが司会を務める「たかじんのそこまで言って委員会」も、キー局の日本テレビからゴールデンタイムでの放送を打診されましたが断っています。

大阪生まれのやしきたかじんは大学を中退した後、京都祇園にあるクラブでギターとピアノの弾き語りとして生計を立てていましたが、態度が悪い客に生卵やタバスコを投げたり、2階から放り出したりしたためにすべてのクラブから出入り禁止になります。

1971年に曲名「娼婦和子」で初めてレコードをリリースしますが、不適切な歌詞が原因で発売禁止になります。
1993年には「新・木枯し紋次郎」で主役の中村敦夫の依頼で主題歌「焼けた道」を歌い、その縁で「新・木枯し紋次郎」に旅人役でゲスト出演しますが、その演技に立ち直れないほどの自己嫌悪に陥っています。
そのためやしきたかじんは、その後のドラマや芝居への出演依頼は一切断っています。

歌手としてのやしきたかじんは、1984年にリリースされた「あんた」や1986年にリリースされた「やっぱ好きやねん」がきっかけで、1987年にリリースされた「ICHIZU」が関西で大ヒット曲となります。

やしきたかじんと女性の出会いですが、過去に2回出会い結婚しています、まだ20代の頃別れた最初の妻とのあいだには女の子を授かりますが、本人曰く「風呂屋に行ったまま帰ってけぇへんねん」と離婚の理由を語り、また2人目の妻からは離婚届けが送られてきたと「たかじんのそこまで言って委員会」で発言しています。