勝新太郎の波乱万丈な人生

男女の出会いと波乱万丈

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更新日:2015.07.13.

勝新太郎の波乱万丈な人生1990年1月ハワイのホノルル空港で下着にマリファナとコカインを入れ、現行犯逮捕された勝新太郎は逮捕後の記者会見で、「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」と真面目な顔で返答し、笑いを誘っていました。
勝新太郎は日本に帰国し、懲役2年6ヶ月執行猶予4年の有罪判決を受けています。

前年の1989年には自らが監督し主演した「座頭市」の撮影中に、長男の鴈龍が殺陣の撮影中に真剣で死体役の役者を刺して殺してしまう事故が起きるなど、不祥事が続いていました。

1996年7月に下咽頭癌になり、翌年65歳で亡くなります。
入院しても手術はしないで抗癌剤と放射線だけの治療を行なっていましたが、入院中も外出を繰り返すなど亡くなるまでやんちゃぶりを発揮していました。

勝新太郎と映画の出会いは、1954年に長唄と三味線の公演のためアメリカで巡業中に、ハリウッドの撮影所でジェームス・ディーンに出会ったことでした。
その後役者として映画デビューしますが最初はパッとせず、転機が訪れたのは1960年に上映された「不知火検校」で、演じた野心的な悪僧が評判を呼びました。

翌年には運命的な出会いで女優の中村玉緒と婚約し、1962年3月5日にふたりは結婚しています。
中村玉緒は生まれ変わっても勝新太郎と一緒になりたいというほど、勝新太郎への愛情を公言していますが、勝新太郎が残したのは莫大な借金だけでした。

「悪名」や「座頭市物語」でその人気を不動のものとし、1967年には勝プロダクションを設立しますが、1981年に12億円の負債を残し倒産します。