藤山寛美の波乱万丈な人生

男女の出会いと波乱万丈

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更新日:2015.07.09.

藤山寛美の波乱万丈な人生藤山寛美という喜劇役者をご存知でしょうか?

1990年5月21日に、60歳の若さのこの世を去っています。
そしてその人生はまさに波乱万丈なものでした。
阿呆の寛美と呼ばれ、そのあほぶりで一世を風靡しました。
またあほぶりは舞台だけでなく、実生活でも役者馬鹿ぶりをいかんなく発揮しています。

役者の息子として生まれた藤山寛美は、4歳で初舞台に立ちます。
1947年に松竹新喜劇の結成から参加し、藤山寛美を一躍有名にしたのは「桂春団治」での舞台でした。
本当は「ツケを払うとくなはれ」の一言だけの台詞でしたが、藤山寛美は主役の渋谷天外が演じる春団治を相手に、アドリブで延々とやりとりを続けたのです。
この時の舞台が評判を呼び、藤山寛美の人気を不動のものとします。

父親が役者のため母親からも、「役者は遊ばんと花が無うなる」と普段から言われ、その遊び方は常識を脱していました。
たとえば飲みに行きお店のボーイに自分の車のキーを渡し、「チップや」と言って自動車1台をプレゼントするなど序の口で、後輩芸人の借金を立て替えるなど当たり前に行なっていました。
ある時など月亭八方の借金1,000万円を現金で立て替えようとしましたが、さすがに八方自身が恐れ多いと断ったエピソードなどは有名な話です。
そしてついに1966年に、当時のお金で1億8,000万円の負債を抱えて自己破産します。

20年間1度も舞台を休まず、亡くなるまで阿呆の寛美を演じ続けました。
藤山寛美と出会い再婚した妻にはふたりの連れ子がいて、妻とのあいだにも3人の子供を作ったにも関わらず、藤山寛美は今のお金に換算すると月に1000万円以上の収入がありながら、生活費をほとんど入れなかったといいます。