立川談志の波乱万丈な人生

男女の出会いと波乱万丈

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更新日:2015.07.08.

立川談志の波乱万丈な人生自分の弟子から人格は最低だが芸は最高と称されていたのは、落語家の立川 談志です。

立川 談志は日本テレビの「笑点」を企画し、1966年5月から1969年11月まで初代司会者を務めています。
また1971年には全国区から無所属で初当選し、参議院議員になっています。
ただしこの時は50人中50位の最下位当選だったため、取材に対して「寄席でも選挙でも真打は最後に上がるもんだ」と答えています。
当選直後に自民党に入党し、1975年には沖縄開発庁の政務次官に就任するものの、政務次官として初仕事だった沖縄海洋博視察で二日酔いで記者会見に臨み、記者から「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」と質問され、「もちろん酒に決まってんだろ」と問題発言し、政務次官をわずか36日間で辞任しています。

落語でも暴言を吐き、何度も問題を起こしています。
たとえば1999年には長野県での高座では、落語を上演中に居眠りしていた客を注意して出て行くように促し、その客から「落語を聴く権利を侵害された」と民事訴訟を起こされています。

波乱万丈な人生を送った立川談志ですが、則子夫人との出会いは立川談志が20歳で、則子夫人がまだ17歳の春でした。
当時婚約者がいた則子夫人を、立川談志が強引に口説き落とし1960年の11月に入籍します。
立川談志は則子夫人と結婚したものの、ほとんど家には帰らず別々に暮らしていたようです。
しかし立川 談志の喉頭がんが再発すると、則子夫人の希望で立川 談志が息を引き取るまで2人きりで過ごすことになります。