大島渚と小山明子の絆

男女の出会いと絆

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更新日:2015.06.19.

大島渚と小山明子の絆「ばかやろう」と怒鳴る映画監督大島渚と、女優小山明子の最初の出会いは1955年でした。
この年小山明子が松竹映画の「ママ横をむいてて」で女優としてデビューした時、当時松竹の助監督だった大島渚と仕事を通じて知り合います。
そして5年後の1960年にふたりは結婚します。

大島渚は1954年に京都大学を卒業した後松竹に入社し、助監督を経て1959年に映画「愛と希望の街」を初めて監督します。
大島渚を有名にしたのは、1976年に上映された日本・フランス合作映画「愛のコリーダ」でした。
藤竜也と松田英子主演で制作されたこの映画は、日本初のハードコア映画として評判を呼びますが、実際に上映された「愛のコリーダ」は映倫により、肝心の部分のシーンがほとんどカットされ酷いものでした。
その後「愛のコリーダ」は2000年にリバイバル上映されますが、ボカシが入った状態での上映でした。
今観るとハードコア映画でなく、普通の芸術作品です。
昔映画館で初めて観た成人映画は、今なら18歳未満は入場禁止の成人指定でなく上映されています。
またこの時に宣伝用のスチール写真がわいせつ文書図画に当たるとして、わいせつ物頒布罪で大島渚監督と出版社の社長が検挙起訴されました。
結局裁判で無罪となりますが、この事件をきっかけに多くの人が大島渚を知ることになります。

大島渚はその後1983年に当時お笑い芸人だったビートたけしを抜擢し、「戦場のメリークリスマス」を制作しています。
激情する性格で、自分の結婚30周年パーティーで作家の野坂昭如の名前を読み上げるのを忘れ、酩酊していた野坂と舞台上で殴り合った事件は有名です。

そんな大島渚を襲った病魔が、1996年2月にロンドンのヒースロー空港での脳出血です。
女優だった妻の小山明子は、夫大島渚の介護のため女優業を止め、そのお陰もあり大島渚は3年後の1999年に「御法度」で復帰を果たします。