矢沢永吉と家族の絆

男女の出会いと絆

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更新日:2015.06.16.

矢沢永吉と家族の絆矢沢永吉と音楽の出会いは、ザ・ビートルズの曲を聴いたことでした。
そしてその後広島で公演されたザ・ベンチャーズの演奏を聴き、矢沢永吉はロックミュージックに目覚めます。
広島から最終の夜行列車で上京した矢沢永吉は、ロックバンド「キャロル」を結成し、革ジャンにリーゼントというロカビリースタイルの「キャロル」は当時の若者に衝撃を与え、熱狂的なファンの支持を集めます。

矢沢永吉はその後アメリカ人とのクォーターだった妻と出会い、1女2男に恵まれ、娘の矢沢洋子は現在歌手として活躍しています。

「キャロル」解散後、1977年には初めての日本武道館でのコンサートを行いますが、矢沢永吉のファンは暴走族などが多かったため、当時社会問題になります。
また週刊誌「アサヒ芸能」に無断で自宅の地図が掲載され、熱狂的なファンが連日連夜矢沢永吉の自宅を訪れ、矢沢永吉の妻はノイローゼになり子供たちは登校拒否になります。
矢沢永吉は家族とともにこの自宅を引越ししますが、その後も熱狂的なファンが空家になった自宅に押し寄せ連日連夜騒ぐので、この自宅は結局取り壊すことになります。

それでも1978年のCMソング「時間よ止まれ」などのヒット曲などで、その人気を不動のものとします。
1980年代に入ると矢沢永吉は、活躍の場を海外に求めます。
しかし1998年に、最大の危機を迎えることになります。
オーストラリアの事務所スタッフが起こした額横領事件です。
この事件で矢沢永吉は、34億円という巨額の負債を負います。
当時マスコミはさすがの矢沢永吉もこれで終わりと報道しましたが、矢沢永吉は6年で負債を完済し東京赤坂に5階建てのスタジオを建設します。